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Posted by ミリタリーブログ at

2018年03月21日

日本軍自動小銃覚え書き(随時更新)

色々と情報が錯綜しており、自分自身もつい最近まで知らなかった事が多々あるので覚え書き。
正しいと思われる情報が入り次第修正します。

追加
日野式自動小銃
1897年(明治30年)には初期の試作型が完成していたとされる。
1904年(明治37年)の時点で天覧演習に用いられたと言う記述と撮影場所不明のカラー写真が存在する。
乗馬しながら連射できる銃器の要望が騎兵隊から上がり試作されたとされる。
日野式自動拳銃に類するブローフォワード機構で三十年式6.5mm実包を10または15連発の箱型弾倉で給弾、
後の四四式騎兵銃の物に酷似した固定式スパイク銃剣を装備している。
またロングバレルタイプの歩兵銃モデルとされる写真も確認している。
日本軍の自動小銃開発の歴史を大きく繰り上げる重大な銃であるが日本語情報がかなり乏しい。
また同時期に競合試作されていた南部式自動小銃の情報もあるが、未確認として参考までに。


昭和7~9年ごろ
『民間企業が勝手に作って売り込んだ』と言われましたが、小倉工廠が参加してる時点で陸軍主導の計画であったと思われます。
#↑「陸軍技術本部」の発注であるとの記述を発見。

・試製自動小銃甲号(小倉工廠)
 ペダーセン式の機関部(トグルアクション)
 弾倉構造が独特で大きく膨らんでいる、近年海外に現存する実物の写真が書籍やネットで公開されている。
 動画は追記で。

・試製自動小銃乙号(瓦斯電)
 チェコスロバキア製ZH-29自動小銃の口径代えコピー品
 動画は追記で。

・試製自動小銃丙号(日特金)

 ペダーセン式の機関部(トグルアクション)
 5連/10連?の着脱式弾倉を有する。
 動画は追記で。

 甲乙丙いずれも同じ名称で全く異なるデザインの銃の写真を見たが、調べたところ少なくとも甲と丙に関しては
四次試作まで行われたとの事で、試作改良を重ねるうちに形状が変化していったと思われます。

#「Pedersen」のカタカナ表記は”ピーダーセン”、”ピダーセン”等表記ゆれがありましたが、ペダーセンで統一しました。

##M1904小銃の特殊なアタッチメントである”ペダーセンデバイス”と混同している記述も少なからず見かけましたが、ペダーセンライフルとペダーセンデバイスは全くの別物です。

ペダーセンライフル(トグルアクション)


ペダーセンデバイス(拳銃実包類似サイズの専用実包のフルオート射撃を可能にする特殊なアタッチメント)

・試製超軽機関銃(日特金)

 丙号の発展型と言うか機関部を使いまわしたと思われます。
 フィン付き銃身や脚や防盾など凄くゴツくてカッチョイイ。
 性能は芳しくなかった模様である。
特筆すべきは反動過大で二発目以降が的に当たらないと言う後のM14と同じ様な問題があったとの事である。
6.5mm弾(三八式実包)は弱装の中間実包(アサルトライフル弾)では無くフルサイズのライフル弾に分類されると言う事実。
防盾など過剰な装備が付いているのは重量で反動を抑えようとした痕跡だと思われます。




昭和16~18年頃?

・試製7.7mm自動小銃(仮称)
画像はネットでの拾い物、「中央工業南部銃製作所製(原文ママ)」と「小倉工廠1型(意訳)」と書かれていた物。
写真で見る限り同一の物であり、どちらかが誤認であると思われます。
外国製小銃の誤認と言う仮説を立て検索してみたが、ストックがアリ溝接ぎで日本的な特徴があり日本製なのは間違いないと思われます。
1941~1943試作型、口径7.7mm等の記述があったためこの時期の試作品と思われます。
昔読んだ書籍でチラと記載があった気がする、要追加調査。



・四式自動小銃/5式小銃(ワシノ)
 
 「嵐山美術館の展示」を根拠に5式小銃とする人がかなり多いですが、書籍で「四式」と刻印が明確に確認できる写真が公開されており、「五式(Type5)」は米軍がつけた名称を逆輸入した物と思われます。

 動画の個体には形式を示す刻印は無いようです。
 この銃は昭和18年(1943年)ごろに海軍が計画し、ワシノ製機に製造を命じたものであると思われます。
 基本的にM1ガーランドのコピーなのですが7.7mm口径でM1ガーランドと弾倉構造が異なる点、リアサイトがタンジェント型なのが明確な識別点。
 四式の名称こそ付いている物の不完全な未完成品しかなかった・・・と、いう説を長年信じていたのですが、実戦投入されていた、戦後の試験で良好な性能を示した、などの異説も発見しました。

 なお現存している物は九九式7.7mm弾ではなくBREN.303弾を使用する物であるとの事。
 留式機関銃弾の余剰備蓄もしくは大戦初期の鹵獲弾薬があったのだと思われます。
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Posted by 猿野半長(転職したい) at 01:17Comments(0)大日本帝国陸軍