2025年03月01日

【遅報】試製二型機関短銃

【遅報】試製二型機関短銃
鉄より強いブリキだぞオメェ!(挨拶)
つーこって北海道のガンスミスが俺のためにどえりゃー機関短銃を作ってくれた。



【遅報】試製二型機関短銃
実物の写真が意外と出回っておりいくつかバリエーションがあるが、正直一番カッコイイタイプを
モデルアップしてくれてると思う。
中身は電動メカボが組み込まれておりBB弾がしっかり発射できると言うスグレモノ!
エアソフトガン化にあたってデフォルメがなされているが、その点を踏まえてもかなり工夫されてて
気配りが嬉しくなる逸品である。

【遅報】試製二型機関短銃
最初に持ってきた画像は弾倉を外した所、電動ユニットへの給弾機構が見える。
弾倉はマルイのMP5用を使用、安価で入手しやすく気配りが感じられる、そして実物(ボタン式)と
異なりレバー式のマガジンキャッチなのだが、コレが剛性感がありデザインもスマートにアレンジされており
秀逸なのである、こりゃ工夫されとりますワ!
なおシリアルナンバーが入っているのでバーニングトウフで隠してあります()

【遅報】試製二型機関短銃
後部から見た状況
レシーバーにはシリアルナンバーが入っているのでバーニングトウフで隠してあります()
フロントサイトはガード付きの物をモデルアップ、リアサイトはタンジェント式(一応稼働する)のピープサイトです。
左側にチラと見えているのはコッキングレバー

【遅報】試製二型機関短銃
で、コッキングレバーを引くとスライド(そう、スライド式なのである)が開きエジェクションポートからは
8mm南部弾のダミーカートが見えるのである
ちなみに実物はオープンボルト式なので射撃時は後退していないと本当ならイケナイ。
閉じた状態の方が人気があったのでアレンジしたとの事、まあワイも選択式だったら閉じた方選ぶわw

ストック側面の穴はホップアップダイヤルです。
やっぱエアソフトガンとしてのデフォルメをキレイにまとめてて好印象である。

【遅報】試製二型機関短銃
ちなみに銃身はダミーで着剣装置の突起の方がエアソフトガンとしての実バレルになります。
スライドの放熱穴は楕円型をモデルアップ、実物では丸穴のも存在。
この辺の加工技術の高さは大枚叩いただけの価値はあると唸らせるワザマエ!

【遅報】試製二型機関短銃
このメカメカしいディテールを見よ!
なお実機能は無く固定式のダミーと割り切った設計w
とは言え中身のメカボと全く適合しない位置なのでライブ化は難しいだろうから割り切ってシンプル化して
剛性出してくれた方が良いと個人的には思う。
トリガーはテンションが一応かかってますがプラプラしてますね。
個人メイドのカスタム品なのでコストパフォーマンス的にやむを得ない所。

【遅報】試製二型機関短銃
バネでロックされた床尾板をあけると中にバッテリーとホップ調整工具が入っている!!
この可動部の出来が良いんだなまた

(写真が失敗してるのは気にしない方向で)










#付録として試製機関短銃に関する追加情報を書く予定

【付錄】
帝國陸軍ニ於ケル試製機關短銃ノ名稱考察及ビ想像

當該文章ハ個別記事ヲ書ク價値ヲ見出セヌ妄言デ在ル旨重々承知サレタシ
根據ハネット上ノ斷片情報ノ繼ギ接ギヲ小生ノ想像デ補ツタ物也
關連過去ログ
https://hennahanashi.militaryblog.jp/e913683.html

【第一部】ネット上で発見した資料的な物(抜粋)
まず名称に関してであるが、現存物のストックに「試一型」「試二型」とあるのでその仮称で進めるが、
アジ歴で確認できる情報では「試製機関短銃」「南部式機関短銃」であり一型二型と言う名称が
記された公文書は現状では未確認である。
どうも一号プロジェクトとして先行開発されたのが「試製二型」だが後発の二号プロジェクトが先に試作品が
完成してしまったため「試製一型」と言う逆転現象が発生した可能性が示唆されている(ロシア文書)
何者が行ったのかは不明であるが、日本語記述なので日本陸軍の手による記述と想像して「試製一型」
「試製二型」の名称を引き続き用いる。

ここでアジ歴の関連ありそうな資料を引用紹介する。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F2006090103002056232&ID=M2006090103002556288&REFCODE=C01006653500
昭和十年二月二十一日付、「南部式機関短銃」一挺購入の記録。

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F2006090103002056232&ID=M2006090103003056353&REFCODE=C01006660000
昭和十年四月四日「航空用自衛火器として機関短銃審査」実包請求の記録。
パイロット用のサバイバルガンとしての採用を検討した物と思われます。
なお航空機用旋回機銃としては大正時代から「甲号遊動式機関銃」を研究しており、既に昭和四年には
「八九式旋回機銃」が採用されており空対空戦闘用ではないと思われます。

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F2013071117143372140&ID=M2013071117143372147&REFCODE=C13071088000
昭和十年九月、「天覧資材」として「試製機関短銃」が記載、名称は「試製機関短銃」としか書かれていないが
別途写真が残されておりWeb上でも確認できる。(書籍・拳銃小銃機関銃入門がわかりやすい)
試製A号銃(後の九六式の原型)、試製甲号自動小銃と並んで「試製一型」が展示されている写真がそれである。

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F2006090103004256506&ID=M2006090103005556672&REFCODE=C01002080400
昭和十年十二月十六日、技術本部ニ委託調査する物として「スマイサー機関短銃」を購入。
輸入品に関しては試製機関短銃と言う表記を使わず「スマイサー(シュマイザー?)」と明記されている点に注目。

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F2006090103340681951&ID=M2006090103342782231&REFCODE=C01007224700
昭和十四年五月二十七日「試製機関短銃審査の為」実包調達記録
他の自動砲や高射機関砲に関しては〇〇式と記述があるのに機関短銃は「試製機関短銃」としか書かれていない。

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F2006090103343182280&ID=M2006090103345182534&REFCODE=C01007255000
昭和十四年十月二十九日、「機関短銃第四次試作品審査の為」実包請求の記録。

何型と言う名称は書かれていないため不明、四次にわたって試作を行っており開発に意欲的な事が分かる。

「試製一型」「試製二型」「試製三型」に関してネット上でタダで閲覧できる公文書としては残っていない。
ここで写真入りで「試製機關短銃一型、二型、三型ノ審査ヲ實施セリ、別圖寫眞參照サレタシ」なんて公文書が
出てくれば決定打となっていたので非常に惜しい。
と言ったところで第一部・完

第一部が終わるとどうなると知ってるか?
第二部が始まるのさ!


【第二部】関係あるオマケ
http://www.日本の武器兵器.jp/part1/archives/182
試製一型の詳細写真がある
複雑な形状だがストックは固定式なのも分かる。

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/p0200
昭和八年七月四日特許出願、出願者南部期二郎、「自動銃器類に於ける発射速度変換及び反動緩和装置」
独特のエアーバッファー機構の精密図面があり複雑さが分かる。
そしてこれ一型の図面でストックに折り畳み機構ない???????????

【第三部】「試製二型バリエーションズ」
機関構造はほぼ同一の「試製一型」と「試製二型」であるが、スライド式で複座バネが銃身の周りを覆っている
という自動拳銃(例・ブローニングM1910)のような構造となっている。
次期を前後して採用された九四式拳銃も同一の構造を踏襲しており他の日本銃との系譜を感じさせる。
近代的なシルエットになっている一因で全長が短くコンパクトになると言う長所がある一方、連射すると
加熱によりバネ鋼が劣化し作動不良の原因となる短所がある。
エアーバッファー機構(複雑で塵芥に弱いと評価されている)と相まって各種試験で指摘され不採用
となった原因である。
なんで採用されなかったのかとてもよく分かってしまって誠に悲しいのである。
採用された三型は南部式教練機関銃の構造を踏襲しており、外国機関短銃と同じく遊底後部に長大な
複座バネを収める構造となっており、銃身加熱の影響を受けにくい構造だった事が分かる。

名称は「二型」であるが実は先行して計画されたプロジェクトがで三八式の物を切り詰めた試製九五式実包
(伝・6.5x30mm)を用いる物で試作品の完成順の関係で名称が逆転する現象が発生した…らしい。(ロシア文書)
先行して6.5mm型が作られていた証拠として、前後幅の大きな弾倉受けのあるフレームにスペーサーを
噛ませて8mm南部弾仕様の弾倉に適合するように調整した「”試製二型改”」(仮称)の機関部写真が存在し、
ネット上で確認できた。(逆に「試製一型」の試製九五式実包仕様の写真は現存しない模様)
「試製二型」の初期試作品は全長がやや長く、二脚まで装備した物の写真が確認できる。
重量増につながる二脚や複雑なエアーバッファー機構と遊底質量を稼げるスライド式を採用したのは
(拳銃弾よりも)強装な試製九五式実包を用いるためであったのではなかろうか?

ただ複雑な割には結局はストレートブローバック式の一種であり、試製九五式実包の推定スペックと
近似する実包を用いる外国製銃器では先例が皆無で、推定値が近い.30カービン実包を用いる
M1カービンはショートストロークガスピストン式である。

試製九五式実包の方にアプローチをかけ作動性能の向上を図ったとすると、
弱装化して行くしかなく最終的に初活力が拳銃弾程度になってしまったのではないかと
想像して(そう、想像)いる。

結局のところ大日本帝国陸軍によるオーパーツPDWは実現しなかったのである。

ここで反動過大と評価された試製超軽機に試製九五式実包を用いたら?と言うifが飛び出て来るのであるが、
想像(そう、想像)しうる最大値は和製M2カービンである、アサルトライフル零号にはまだ届かない。

ネット上で写真が残る「試製二型」の写真は「脚が付いた物」「50連弾倉の物」「銃剣が付く物(通称歩兵型)」
「先端が金具で補強され薬莢受けがついた物(通称戦車型)」の四種類に大別できるが、ほぼ全ての個体で
微妙に違うので写真の数だけ微妙なバリエーションがあると言っても過言ではない。
試作品であるので手作りも同然であり試行錯誤の途中で後改造で仕様変更された物も多かったと推測され
特に不思議な事ではない。
嵐山美術館の展示では「試製”二式”」と記述されていたがあながち無根拠ではなく終戦間際に車輛搭乗員
向けに仮採用されていたと言う説もあるので”二式”の名称がそこから飛び出た可能性がある。
とは言え総生産数は増加試作程度に留まるのではないだろうか??

今回の個人調査では公文書上では「試製二型改」「二式機関短銃」等の名称は確認できていない。
『試製九五式が二型で8mm南部弾仕様は二型改』とする説があるが区別する個別名称を陸軍が与えていた
のかどうかは確認できなかった。

さて、ここで終わりとしたいのであるが超絶カッコイイ独特のシルエットでSFチックな雰囲気を醸し出している
「試製二型」の銃床形状に少し触れさせて頂きたい。
十一年式軽機関銃や教練軽機の銃把形状と引き金位置の関連性が似ており、既存の日本銃と操作
感覚を似せようとする実用目的の理由があったと推測している。
このSFチックで魅力的な銃は帝国陸軍のミュータントではなく明治大正から続く開発ツリーの一部である。


【第四部】「試製一型」についてもちょっと
「銃把に弾倉が入るSMG」としては恐らく世界初であると思われます。
スライド機構や複座バネの位置などからして”巨大な自動拳銃”として設計された物と思われ、
世界初の自動拳銃ボーチャードピストルの段階で既にグリップにマガジンが入るので無から
沸いて出た発想でもない。
発火式モデルガンの組み立てキットを作った事がある者ならば嫌でもわかると思うが、自動火器と
いうのはセミオートで撃つ方がむしろ難しく、ディスコネクターの摩耗や不良が原因でフルオートに
なってしまう故障は多く、自動拳銃の開発途中で既に小型な機関銃が作れると言う事には気が付いて
いたと思われます。
「”1926年型”試製自働拳銃」の段階で早すぎる発射速度に苦慮しており、複雑なエアーバッファー機構で
発射速度低下と反動低減を狙った実用的機関短銃を目指した物であり野心的な設計であった事がわかります。

ただ8mm南部弾のテーパーのきつさからくる弾倉設計の困難さが写真だけでも分かり、
九四式拳銃の試作型のような前傾した銃把形状がなんとも言えない雰囲気を醸し出しています。

結局のところ陸軍技術本部も不満に思ってたんで試製九五式実包を試験してたんじゃないすかね?


【第五部】8mm南部弾に関して
ボトルネック拳銃弾は非常にカッチョイイ物であると思うのだが、現代の.357SIG弾なんかと異なり
8mm南部弾はテーパーがきつく弾倉設計が非常に難しい代物ですネ。
ただRがきつい曲がった弾倉が松本零士メカみたいで非常にカッコイイと思ってしまう厄介なオタク心

たしかGun誌(ターク高野氏だったと思う)が「.30モーゼル弾のスケールダウンコピーなのに威力が無い」と
言っていたが、兵頭二十八氏の本では「当時最新式だった.30ルガー弾のスケールアップコピー」と
書かれておりました。
個人的にはパラベリュームピストルに対抗して作られたのが南部甲型だと思っているので.30ルガーの
スケールアップコピー説を取ります。

明治の自動拳銃黎明期ならばともかく、WW2期には.30ルガー採用国も9mmルガーに切り替えた国が多い
のですが、なんだかんだで昭和になっても8mm南部弾を使用する真新しい拳銃があった上に500メートル先の
防寒着を来た武装兵を斃せる威力があった(軍による実験結果)ので更新するには至らなかったのでしょう。

そういう状況で試製九五式実包をわざわざ試験していた意欲的な近代化策が実行されていた事は特筆に値します。


何か考えがまとまらなくなってきたんでここで本日の日記は終了します。




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Posted by 猿野半長(転職したい) at 03:45│Comments(0)大日本帝国陸軍トイガン・デコガン
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